「心を無(む)に。心をからっぽにするのです」。
今日は、東福寺で坐禅(ざぜん)に挑戦してきました。
私は教えられた通りに足を組んで、おなかで呼吸をします。
・・・・・・なにも考えないように、心を無に・・・・・・。
・・・・・・からっぽ。からっぽ、から・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
そのとき、肩に、バシバシバシッ!!!
い、い、い、いたい!!!
見ると、目の前に、平べったくて長い木の棒を持ったご住職。
いつのまにか寝てしまっていたようです・・・・・・。
私はおじぎをして、もう一度集中してみました。
・・・・・・どのくらい時間がたったんでしょう?
小さな葉っぱがゆれる音や、ゆるやかにまうお線香の香り、
光をつよめはじめた朝日やお堂をみたす朝の空気のにおいなどが
すごくくっきりと感じられてきました。
自分を消すとまわりが見えてくるなんて!
坐禅が終わると、ご住職が
「自分をなくせば、すべてを自由に受け入れられるのです」と一言。
うーん。あまり意味はよくわからなかったけど、
日本って深いです。
※ご住職が持っている木の棒は「警策(きょうさく)」といって、
坐禅を組んでいる人の眠気をさますために打たれます。
坐禅中、ねむくなってしまったら無言で手をあわせ、
警策を打ってもらいます。